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葬儀顛末記②~病院に着くまで

夫は泣いてはいないが、事故でも起こされたら大変なので、

「こういうときは、事務的な話をした方が落ち着くんじゃない?」と私。

これから何をしたらいいのかを話すことに。

義父がそう長くないとわかったときから、葬儀をどうするのか、私は気になっていたのだけど、とてもそんなことを言い出せる雰囲気じゃなかった。

普段、形見分けがどうのとか、遺言がどうのとか、葬儀はこうしてほしいとか、日常会話のように話している私の実家とは大違いだ。

だれも葬儀のことなんて考えていないと思う。

ていうか、まずどこに連絡をとっていいかもよくわからない。

とりあえず7年前にお墓を購入したことだけはわかっているので、そこに聞けば、何か教えてくれるんじゃ?と思ったけど、場所はわかるけど、お墓の名前がわからないという。

 「地元とのつながりが強い人や現役で働いている人以外は、近親者で行うことが多いってケアマネさんが言っていたよ」と私。

この発言で、義父が亡くなる前から、ケアマネさんに葬儀の相談をしていたことがばれてしまう!

これはケアマネさんの仕事ではないけど、世間話的に相談していたのだ。

特に話がまとまらないまま、病院に到着。
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葬儀顛末記①~病院から突然の連絡

 その日はサマータイムで、夫は5時前には帰宅していました。

病院には妹さんが仕事の後、行く予定でした。

夫が「ちょっと買い物でも行ってこようかなあ」などと言いながら準備をしていたところ

私の携帯に病院からTEL。

これまで2回電話があって、持ち直した義父でしたが、何となく嫌な予感がして、どきどきしながら出てみると

「お父様が急変されました。何分で病院に来られますか?」

おろおろしながら、夫に携帯を渡す私。

夫もうわずった声で「1時間20分くらいかかります・・・」

電話を切った夫に、「とにかく、落ち着こう!」と声をかけて、

義母と妹さんにTEL。

泊まることになるかもしれないと思い、着替えやら、自分の化粧品(←結構冷静)やら、携帯の充電器など、袋にぼんぼん詰める。

結局家を出るまで、20~30分かかってしまった。

途中で、夫が義妹さんに再度TEL。

義妹の会社は病院の近くなので、もう病院に着いているはずだという。

「あ、そう・・・・」

と一言だけ言って、夫は電話を切ってしまった。

「死んじゃったって」

私は絶句してしまい、何も言葉が出てこない。

そして

「寂しくなるなあ・・・」と夫がポツリ。

「悲しい」ではなく、「寂しくなる」と自分の気持ちを言い表したことに、思わず涙。

父親のことを心から尊敬して、大好きだった夫。

こんなに仲のいい父息子は見たことがないと思うほどだったので、果たして自分の夫はどうなってしまうのか、そっちの方が不安でした。

義父、その後④

 義父が亡くなりました。

通夜・告別式、何とか済みました。

3年前にアルツハイマー病を発症した義父。

1年前あたりから、隠れ脳梗塞による認知症状のある義母。

もともときちんとした家だったのに、正直今はぐちゃぐちゃ・・・

そして、家の宗教が何かも知らない我が夫。

こんな家族が通夜~告別式をどのように執り行ったのか、備忘録として書いていきたいと思います。

義父その後、③

 先月、K病院に正式申し込みを済ませたものの、どうもそこまでもちそうにありません・・・

K病院ベッド待ち1カ月なので、先月末、都内の療養型病院に転院。

そのときはまあまあ元気だったのですが、そこから右肩下がりに悪くなっていき、

食事も食べられなくなったので、中心静脈栄養開始。

ただ、もう暴れることもなくなったので、両手両足の拘束は免れました。

先週、血圧が下がってきたので、血圧を上げる点滴を開始。

昨日、酸素吸入開始。

今日は何の連絡もありません。

この病院で最期までお世話になることになりそうです。

そう考えると、少し遠くても、この病院に決めてよかった・・・・

建物が古くて、最初は「えっ・・・」と思ってしまったのですが、ソーシャルワーカーさん、看護師さん、先生、どの方も皆さん感じがいい。

もう1つ、紹介された病院があったんですけど、ソーシャルワーカーの人が上からガンガン物を言ってくるし、何より病棟がひっそーりしていて、ナースステーションに人がいない。廊下には雑然と物が置かれている。

義母は家から近いのでこっちの病院の方がいいとぶつぶつ言っていたのですが、半ば強引に誘導して、今の病院に決めてしまいました。

義妹が昨日先生に

「あとどのくらいなんでしょうか」

と質問しました。

先生はちょっと考えた後、

「今、空が曇っているとします。

明日になれば、晴れ間が少し見えるかもしれないし、雨が降ってくるかもしれない。

いきなりどしゃぶりになるかもしれない。

曇りがしばらく続くかもしれない。

そんな状態でしょうか。」

この説明に義妹が納得したかどうかわかりませんが、私はとても温かいものを感じました。

落ち着かない日々はしばらく続くのでしょうか。
続かないのでしょうか。

義父、その後②

 義父の転院先がやっと決まりそう。

積極的な治療は何もしていない上に、食事をすることが困難となると、本当に受け入れ先がないという現実を突きつけられた。

そんな中、1つだけ受入OKの返事をくれた病院があった。

なんと、私の実家の近く、よみうりランドにあるK病院だ。

地元では、「老後をあんなステキな病院で過ごせたらいいわねえ」と言われている。

何がステキかって、建物はリゾートホテルのようで、フランス料理のレストランがあって、エステが受けられたり、月に1度はプロの演奏家の方のコンサートまである。ボランティアではなく、プロの方を呼ぶのだ!

ケアマネさんに報告すると、「あそこほど行き届いた病院はないですよ」と絶賛。

先生も「あそこに入られた方は長生きしますよね。いい評判しか聞かないです」と絶賛。

うちの母に報告すると、「まあっ!!!!ただ・・・お高いのよね?」

でもほかに選択肢のない私たちは、見学に伺った。

まさに癒やしの空間でした。エントランスを入ると、全面ガラスの向こうに緑がばーーーーっと広がっていて、何もかもがステキ!

そしてもっとステキだったのは、病院の方針でした。

義父の状態を聞かれて、

「今、車いすに4時間くらい座らされているんですが、後半になると疲れてきて、大声を出します」
「じゃあおろしてあげればいいじゃない。なんでおろしてあげないの?」

これは院長先生の一言です。

「この病院では外科的な処置は何もできません。お父様にいかに楽にゆったりと過ごして頂くか、それについては最大限のことをさせていただきます」

私も夫も「お願いします!!!!」と何度も口にしてしまった。

ところが、義母の機嫌が悪い。

院長先生と直々に面談ということでどきどきしてる私たちをよそに、ずーっと不機嫌な顔で、時々話の流れを止めるような質問をする。

面談後、ソーシャルワーカーさんに「どうも・・・お母様が反対されているみたいですね。もう1度皆さんで話し合ってから申し込みされたほうがいいと思います」

と言われてしまいました!!!

義母も認知症状があることを説明して、「失礼なことを申し上げてすみません」と謝って帰ってきた。

後で聞いたら、車で思ったよりも時間がかかったことが、気に入らなかったみたい。

まだまだ前途多難な感じです・・・。

でも食事介助に通うのは、もう限界です・・・。

プロフィール

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キサ
性別:
女性
自己紹介:
契約社員(在宅)+主婦少々。現在、本館更新停止中のため、たまーにJ長K長の記事も書きますが、ほとんどがただの日記です。

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