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義父葬儀顛末記⑰~お通夜

お通夜当日。

既にすごく疲れていたので、胃薬やら頭痛薬やら、漢方薬局でもらった牛黄のサプリやら、いろいろ飲んで、家を出発。

義母と義妹をピックアップして、お寺に向かう。

このお寺が、私の理想どおり、こじんまりとはしているけれど、とてもいい雰囲気で、ここがあいていてよかったなあと思う。

花祭壇も思った以上に立派で、おお・・・っ!と思いながら、デジカメにおさめた。

住職さんへの挨拶(ここでお布施を渡す)などしているうちに、参列者の方が到着。

夫はバタバタ走り回っているし、義母はぼーっとしているので、私のことを誰も紹介してくれないまま、「お暑い中、ありがとうございます」と、親戚の方に挨拶に回る。

でも始まったら、後は座っているだけ。

どうなることかと思ったけれど、当日が来れば、何とかなるものだなあとしみじみと思う。

お焼香の途中、Nさんの部下がさささっと近づいてきて、「お料理が足りなくなりそうなので、お寿司を追加してもよろしいですか」と言われて、お任せする。

そういうことも、全部葬儀屋さんがやってくれるのだから、当日は、本当に楽だった。

体力がもつかと思ったけど、アドレナリンが放出されている感じで、全然大丈夫だった。

通夜振る舞いの席で、初七日の出欠を確認し、この日は終了。

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義父葬儀顛末記⑯~突然の思いつき

お通夜当日。

お通夜の後、吉祥寺のホテルに泊まることになっていたので、朝からバタバタと準備をしていた。

準備をしながら、何となく、何となくなんだけど、義父の会社の人を呼ばなくて本当にいいのか?っていう気持ちが大きくなっていった。

義父は、毎年会社のOB会に参加していた。

それが3年前から突然行けなくなってしまい、義父の年賀状を見ると、「OB会でお会いできていませんが、お元気でしょうか」という言葉が並んでいる。

義父が会いたくてしょうがない人が何人かはいるのではないかということが突然気になり始めた。

夫に

「やっぱり同窓会の方へのFAXは、事後ではなく、今日してもらったほうがいいんじゃ?」

と言ってみると、

「まあ当日の連絡だから、義理で大勢の人が詰めかけることもないだろうし、来たとしても2~3人だと思うから、いいんじゃない?」

と言われて、同窓会の窓口に電話。

「実は、今、システムの入れ替えをしていて、FAXを流せるのが、午後になってしまいますが」と言われる。

よりによってこんなときに・・・ということは、これは案外好都合かもしれない。

当日の午後、FAXを見て、駆けつけてくれるなんていうのは、相当仲のいい人だけだろう。

でもこの突然の思いつきを、後から夫や義母に感謝されることになる。

「大学も一緒で、入社してから何十年、同士であり、戦友のような存在でした」という同期の方や、昔、社宅で家族ぐるみのおつきあいをしていたご夫婦とか、父のことを本当によく知る方ばかりが、お通夜や告別式に参列してくださったのだ。

そういう方から、在りし日の父の話を聞くことで、夫もすごく癒やされたと思う。

会社のつき合い=義理、と思っていたけど、義父にとっては、親戚以上に濃いおつき合いだったのだ。

親戚+義父の同僚、ということで、義父のことを直接知る方ばかりで送ることができたのは、何ともいえない満足感となって、私たちの中に残った。

義父葬儀顛末記⑮~受付が決まらない

細かいことだけど、ギリギリまで心配の種だったのが、告別式の受付だ。

今回、圧倒的に若い人の手が足りないのだ。

とりあえずお通夜の日は、義父の一番下の妹さん(お若くで元気)夫婦にお願いすることにした。

だけど、告別式は、参列者が把握できていない。

頼みのNさんにも「本当は私たちでお手伝いしたいのですが、お金を数える作業があるので、できないんです」と言われてしまい、前日になっても、決まらなかった。

そんなとき、マンションお隣のTさんから「お手伝いしますから、何でも言ってください」と声をかけられた。

マンションの人への連絡は全く頭になかったのだけど、父を家につれて帰ってきたときに、住民の方から「どなたかお亡くなりになられたのですか?」と声をかけられて、その話が広まったらしい。

お隣のTさんは、枕花を持ってきてくださって、3日間、お会いするたびに「お手伝いすることはありますか?」と言ってくださったので、たとえ社交辞令だとしても、本当にありがたかった。

どうにもならなければ、Tさんに事情を話して、「どなたかマンションの方に受付をお願いできないでしょうか」と相談することも考えた。

でも最後のほうは、もう考えるのがめんどくさくなってしまって、「告別式は参列者も少ないだろうから、

私が受付に立つわ」なんて言っていたのだけど、

結局どうしたかというと、

困っている私たちを見かねてNさんが

「お香典袋は開封せずに、そのまま袋に入れるだけという形でよければ、私たちでやります」

と言ってくださったのだ。

当日、ちょっと事情が変わったので、Nさんにお願いして正解だったのだ。

義父葬儀顛末記⑭~口座が凍結されちゃう?

お通夜前日。

もう大体のことが終わっていたので、この日は案外楽だった。

Nさんがお布施や心付けの袋と、金額の相場表を持ってきてくれたので、それに従って、お金を詰める。

そうそう。お金といえば、「家族が亡くなったら、口座が凍結される前に、お金をおろしておきなさい」とよく言われるけど、うちの場合、結構大変だった。

父が亡くなる3週間ほど前、

メイン口座(義父名義)のキャッシュカード暗証番号を、母が3回間違えて、ロックされてしまったのだ。

暗証番号変更は、本人以外手続きすることはできないので、窓口でおろすしかない。

家族とはいえ、他人名義の口座から、窓口でお金をおろすというのは、今のご時世、とても大変なことなのだ。

義父の身分証明書、自分の身分証明書が必要で、高額の場合は、使い道など、いろいろ窓口で聞かれるし、1度に100万以上はおろせない。

たまたま病院の支払用に80万ほどおろしたばかりのお金があったので、それがそのまま葬儀費用の前金にになった。

でもこの口座凍結って、仕組みがよくわからない。

「銀行が本人の死亡を知った時点で凍結される」としか書かれていない。

役所と銀行が壮大なネットワークでつながっているんだろうか。

「新聞の訃報欄や葬儀の立て看板で銀行が死亡を知る場合もある」

なんて話を聞くと、本当?と思ってしまう。

4日目は、お金関係の細々したこととか、供花の手配とか、細々したことをやって、終了。


義父葬儀顛末記⑬~遺影

5年前だったか、母から「遺影の写真、どれにしようかしら」と言われたことがある。

母が治療を終えて一段落したところだったので、「よりによって今、なんでそんな話・・・」とイラっとしたことを覚えているけど、家族の仕事を1つ減らしてくれることなんだな、やっとわかった。

3日目(お通夜の2日前)に、葬儀屋さんが遺影の写真を取りに来ることになったのだけど、これ!といったものが見つからない。

もともと写真が好きで、アルバムもきちんと整理されているのに、義父は写す側なので、案外映っていない。

定年後、義母と旅行していたころの写真や、お正月に家族で撮った写真も、何となくむすっとしている。

最高の笑顔でいい写真だなあと思ったのは、私たちの披露宴で、義父が挨拶をしているときの写真だけど、真ん中にマイクが写っている。

スピーチ好きの義父らしい写真なんだけど、さすがにマイクはダメだろう。

1日がかりで8枚くらいピックアップしたものの、結局、10年くらい前のパスポート写真になった。

Nさんに全部見せたところ、「このパスポートの写真で何ら問題はないですよ」との一言であっさり決まった。

パスポートとして見ると、どうしても地味に見えてしまうが、背景がかわって、加工が加えられると、それなりに立派な遺影にになった。

プロフィール

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キサ
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女性
自己紹介:
契約社員(在宅)+主婦少々。現在、本館更新停止中のため、たまーにJ長K長の記事も書きますが、ほとんどがただの日記です。

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