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カテゴリー「つれづれ」の記事一覧
- 2025.03.13 [PR]
- 2011.11.13 祝20周年
- 2011.11.04 今月、発表会
- 2011.11.04 義父葬儀顛末記⑳初七日
- 2011.08.23 義父葬儀顛末記⑲~堀ノ内斎場にて
- 2011.08.22 義父葬儀顛末記⑱~告別式
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祝20周年
発表会は、年内最大のイベントと言っても過言じゃないです。
でも実は、もっともっと大きなイベントが!!!
昨日は東京ドームで、20周年のファンパーティーでした。
まさか自分が当たるなんて思っていなかったので、実感がないまま、当日を迎えてしまいました。入口で「ファンの皆様へ」と書かれたこんなものを手渡されました。

なんかこの時点で、お祝いムードを感じて、じーん。。。
ステージは、いつもの豪華なセットのかわりに、端から端までお花がずらーっと並んでいました。 オペラグラスで札を確認したところ、雑誌社やスポンサーの他、個人名でも来ていて、タモリさんの名前を発見したときは、かなりテンション上がったわー。
夢のような時間が過ぎ、「終わっちゃった……」と脱力していたところ、いきなりステージ上に幹部の人が登場し、何やら説明が始まりました。
「急遽決まったことですが、これから5つのゲートに分かれて、メンバーが皆さんをお見送りさせていただきます」 !!!!!!!!!
5万5000人を?5つに割っても、1万人いるのに? もう信じられなくて、気づいたら号泣してました!!!
「警察の方など、危険だと各所から反対されましたが、本人たちの希望ですので、くれぐれもマナーを守って、事故のないように、明日もこのイベントができるように協力してください」 とのこと。
1時間くらい待ったら、私のブロックの番が来て、緊張はピークに。
どこに誰が立っているのかよくわからないまま歩いてたら、気づいたら、目の前にKさんが!!!
かなり照れた笑顔で手を振っていた……のかな?余り記憶がありません。 3秒くらいで前を通り過ぎてしまったので、幻だったんじゃないかと。
後から冷静になって気づいたのが、本当に急遽決まったんだなっていうことが一目瞭然な、小さな台に立っていたってことです。 10分でも立ってることが大変なくらいの小さな台に。
最後の1人が退場するまで、あの台に立ち続けて、見送ってくれたのかと思うと、それだけで胸がいっぱいになってしまいます。
ファンを続けてきてよかった。これからもずっとついていきますよ。
でも実は、もっともっと大きなイベントが!!!
昨日は東京ドームで、20周年のファンパーティーでした。
まさか自分が当たるなんて思っていなかったので、実感がないまま、当日を迎えてしまいました。入口で「ファンの皆様へ」と書かれたこんなものを手渡されました。
なんかこの時点で、お祝いムードを感じて、じーん。。。
ステージは、いつもの豪華なセットのかわりに、端から端までお花がずらーっと並んでいました。 オペラグラスで札を確認したところ、雑誌社やスポンサーの他、個人名でも来ていて、タモリさんの名前を発見したときは、かなりテンション上がったわー。
夢のような時間が過ぎ、「終わっちゃった……」と脱力していたところ、いきなりステージ上に幹部の人が登場し、何やら説明が始まりました。
「急遽決まったことですが、これから5つのゲートに分かれて、メンバーが皆さんをお見送りさせていただきます」 !!!!!!!!!
5万5000人を?5つに割っても、1万人いるのに? もう信じられなくて、気づいたら号泣してました!!!
「警察の方など、危険だと各所から反対されましたが、本人たちの希望ですので、くれぐれもマナーを守って、事故のないように、明日もこのイベントができるように協力してください」 とのこと。
1時間くらい待ったら、私のブロックの番が来て、緊張はピークに。
どこに誰が立っているのかよくわからないまま歩いてたら、気づいたら、目の前にKさんが!!!
かなり照れた笑顔で手を振っていた……のかな?余り記憶がありません。 3秒くらいで前を通り過ぎてしまったので、幻だったんじゃないかと。
後から冷静になって気づいたのが、本当に急遽決まったんだなっていうことが一目瞭然な、小さな台に立っていたってことです。 10分でも立ってることが大変なくらいの小さな台に。
最後の1人が退場するまで、あの台に立ち続けて、見送ってくれたのかと思うと、それだけで胸がいっぱいになってしまいます。
ファンを続けてきてよかった。これからもずっとついていきますよ。
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今月、発表会
顛末記の19を書いてから、最後の20を書くまでに、2カ月半もあいてしまった。
その間にメッセージをくださった方、どうもすみません。
ブログを読んでいて、「あれっ?何でここで突然、更新ストップしているんだろう」と思うことがよくあるけれど、自分もそうなってしまうとは・・・。
特に理由はないのに、何となく、何となく更新を先延ばしにしていただけなのですが、あと一つってところで止めなくてもねえ。
8月末に四十九日も終わり、準確定申告は、ネットで探した会社にお願いすることにして、相続関係も一段落。
落ち着いた日々を送っている・・・はずなのですが、もうすぐ例の発表会がやってきます。
今回は、弦楽四重奏+コントラバスをバックに弾くので、ピアノ伴奏よりも、先生方にカバーしてもらえるかなと考えるようにしていたのだけど、先週のリハ、先生方の伴奏で弾くのは、何ともいえない威圧感というか、プッシャーというか。
曲は、予定どおり、バッハの「コンチェルト第1番より、3楽章」です。
「体力がないので、3楽章のみで」とお願いしてこうなったのに、1カ所間違えて動揺していると、立て直すチャンスがない、案外リスキーな曲だということが、わかってきました。
とにかく今は、早く終わってほしい・・・それだけです。
その間にメッセージをくださった方、どうもすみません。
ブログを読んでいて、「あれっ?何でここで突然、更新ストップしているんだろう」と思うことがよくあるけれど、自分もそうなってしまうとは・・・。
特に理由はないのに、何となく、何となく更新を先延ばしにしていただけなのですが、あと一つってところで止めなくてもねえ。
8月末に四十九日も終わり、準確定申告は、ネットで探した会社にお願いすることにして、相続関係も一段落。
落ち着いた日々を送っている・・・はずなのですが、もうすぐ例の発表会がやってきます。
今回は、弦楽四重奏+コントラバスをバックに弾くので、ピアノ伴奏よりも、先生方にカバーしてもらえるかなと考えるようにしていたのだけど、先週のリハ、先生方の伴奏で弾くのは、何ともいえない威圧感というか、プッシャーというか。
曲は、予定どおり、バッハの「コンチェルト第1番より、3楽章」です。
「体力がないので、3楽章のみで」とお願いしてこうなったのに、1カ所間違えて動揺していると、立て直すチャンスがない、案外リスキーな曲だということが、わかってきました。
とにかく今は、早く終わってほしい・・・それだけです。
義父葬儀顛末記⑳初七日
斎場から戻ってきたら、初七日の法要~精進落とし。
ここまで来たら、もう何もないだろうと思っていたら、献杯のあいさつをお願いしていた親戚の方が、仕事の都合で、斎場からそのまま帰宅されることになった。
初七日の献杯は、家族ではなく、親戚の人にお願いするようにと言われていたし、マニュアルにも書いてある。
「ほんの一言でいいので」と、無理矢理、夫のいとこの方にお願いした。
そしてこの後、思いもよらない難関が待ち受けていた。
法要が終わって、精進落としのお料理をいただくときに、住職の方も一緒なのだけど、私たち家族が住職の方を囲むことになった。
家族が上座に座ることになってしまい、これでよかったのかどうかよくわからないけど。
義母には無理なので、夫が住職さんの真ん前、私が隣に座ることになったのだけど、一体何をしゃべったらいいのか……。
「この時期は、やはり毎日お忙しいですよね」とか、当たり障りないことを聞いてみるのだけど、話が続かない。
こんなことなら、浄土宗ネタを事前に仕入れておくべきだった……。
私の隣に座っていた父が、「今年は法然常人が亡くなられて800年で・・・」と話を振ってくれて、何とかそれらしいトークになったのだけど、それもすぐに終了してしまい……。
思わぬ場面で、手に汗握ってしまいました。
皆さんをお見送りして、終了。
いろいろあったけど、何とか終わるものだなというのが実感です。
この後の四十九日のほうが、葬儀屋さんに相談できない分、面倒だったのかも・・・。
また気が向いたら、書きます。
ここまで来たら、もう何もないだろうと思っていたら、献杯のあいさつをお願いしていた親戚の方が、仕事の都合で、斎場からそのまま帰宅されることになった。
初七日の献杯は、家族ではなく、親戚の人にお願いするようにと言われていたし、マニュアルにも書いてある。
「ほんの一言でいいので」と、無理矢理、夫のいとこの方にお願いした。
そしてこの後、思いもよらない難関が待ち受けていた。
法要が終わって、精進落としのお料理をいただくときに、住職の方も一緒なのだけど、私たち家族が住職の方を囲むことになった。
家族が上座に座ることになってしまい、これでよかったのかどうかよくわからないけど。
義母には無理なので、夫が住職さんの真ん前、私が隣に座ることになったのだけど、一体何をしゃべったらいいのか……。
「この時期は、やはり毎日お忙しいですよね」とか、当たり障りないことを聞いてみるのだけど、話が続かない。
こんなことなら、浄土宗ネタを事前に仕入れておくべきだった……。
私の隣に座っていた父が、「今年は法然常人が亡くなられて800年で・・・」と話を振ってくれて、何とかそれらしいトークになったのだけど、それもすぐに終了してしまい……。
思わぬ場面で、手に汗握ってしまいました。
皆さんをお見送りして、終了。
いろいろあったけど、何とか終わるものだなというのが実感です。
この後の四十九日のほうが、葬儀屋さんに相談できない分、面倒だったのかも・・・。
また気が向いたら、書きます。
義父葬儀顛末記⑲~堀ノ内斎場にて
結婚式場のような斎場の中に入ると、何組もの家族でごったがえしていた。
友引の次の日なので、混んでいたと後からNさんから聞かされた。
葬儀の段取りを決めるときに
「堀之内斎場は、6つ火葬炉が並んでいるのですが、3つの火葬路で区切られている特別室がございます。どちらにしましょうか?」
という話があった。
どちらでもいいと思ったけど、ゆったりとした空間の方がいいのでは?ってことになり、何となく「特別室」を予約した。
確かに特別室の方がゆとりはあったけど、右の火葬路でお骨上げをする遺族、左にはそれが終わった家族、真ん中に私たち・・・と、すごいことになっていた。
祖母のときの田舎のお葬式に比べると、何もかもが事務的に進んでいき、それが私はすごくありがたかった。
一番つらい場面だと思っていたけど、あっちもこっちもで、遺族は私たちだけじゃないってことも何だか心強かったのだ。
火葬場のイメージといえば、これは昔の映画をテレビで見たんだと思う。
火葬の間、煙突から上がる煙をぼーっと眺めているシーン。
何とも嫌な時間だろうなと思っていた。
だけど、今は煙が出ない仕組みになっているらしい。
2階に上がると、「**様ご遺族控え室」の立て札が立てられたお部屋がずらーっと並んでいて、そこで1時間ほど待たされる。
係の方が呼びにきて、お骨上げ。
「しっかりとした骨をしていらっしゃいます」と言われて、毎日、チーズとヨーグルトと牛乳を欠かさなかったからかなあなんて思ってしまった。
からっとした雰囲気であっという間に終了。
これも私にはとてもありがたかった。
友引の次の日なので、混んでいたと後からNさんから聞かされた。
葬儀の段取りを決めるときに
「堀之内斎場は、6つ火葬炉が並んでいるのですが、3つの火葬路で区切られている特別室がございます。どちらにしましょうか?」
という話があった。
どちらでもいいと思ったけど、ゆったりとした空間の方がいいのでは?ってことになり、何となく「特別室」を予約した。
確かに特別室の方がゆとりはあったけど、右の火葬路でお骨上げをする遺族、左にはそれが終わった家族、真ん中に私たち・・・と、すごいことになっていた。
祖母のときの田舎のお葬式に比べると、何もかもが事務的に進んでいき、それが私はすごくありがたかった。
一番つらい場面だと思っていたけど、あっちもこっちもで、遺族は私たちだけじゃないってことも何だか心強かったのだ。
火葬場のイメージといえば、これは昔の映画をテレビで見たんだと思う。
火葬の間、煙突から上がる煙をぼーっと眺めているシーン。
何とも嫌な時間だろうなと思っていた。
だけど、今は煙が出ない仕組みになっているらしい。
2階に上がると、「**様ご遺族控え室」の立て札が立てられたお部屋がずらーっと並んでいて、そこで1時間ほど待たされる。
係の方が呼びにきて、お骨上げ。
「しっかりとした骨をしていらっしゃいます」と言われて、毎日、チーズとヨーグルトと牛乳を欠かさなかったからかなあなんて思ってしまった。
からっとした雰囲気であっという間に終了。
これも私にはとてもありがたかった。
義父葬儀顛末記⑱~告別式
お通夜の後、吉祥寺のホテルに向かう。
ここのホテルに入っている中華料理のお店には、みんなでよく行った。
思い出のホテルだからというわけではなく、単にここが一番近いから予約したのだけど、かえっていろいろなことを思い出して、なかなか眠れなかった。
ハワイ旅行用にもらった睡眠剤を飲んでも、全く寝付けなくて、焦っているうちに、2時頃、眠ってしまったようだ。
朝食は、バイキングでしっかりと食べて、出発。
いよいよお別れだなあと思っているのか、夫はほとんどしゃべらない。
私は、義父の魂はもう自由にあちこち飛び回ってるんじゃないかと思って、そんなに寂しくなかった。
今回のことで、私と夫の死生観の違いと、嫌というほど思い知ることになる。
子供の頃から母から聞かされ続けてきた、「亡くなった後も、常に見守ってくれているから…」なんて話は、夫には到底通じそうもなかった。
(最近になって、ようやく理解し始めてくれてるみたいだけど…)
告別式も始まると、滞りなく進んでいき、いよいよ出棺の準備。
ひつぎが開けられると、葬儀屋さんに渡した、新聞の朝夕刊、ワインラベルのコレクション、家族写真と、義父+友人の写真が入っていて、この日初めて泣いた。
子供の頃、参列したお葬式での記憶か、ドラマで見たのかわからないけど、棺は、遺族が釘を打って閉めるのかと思っていた。
が、ふたを上からちょっと押さえると、それできちんと閉まる仕組みになっているらしい。
よかった。
出棺し、火葬場に向かう。
夫にこそっと「バスには乗りたくない~」とわがままを言って、Nさんにタクシーを手配してもらっていた。
火葬場まで、すごく時間がかかると思っていたからだ。
バスに揺られていくのは、何となく嫌だった。
でもさすが都内、民間の火葬場が幾つもあるらしく、20分くらいで到着。
これが、とてもきれいで立派な建物で、デパートのように、エスカレーターが並んでいる。
結婚式場?と思ってしまうくらいだ。
本当に驚いた。
ここのホテルに入っている中華料理のお店には、みんなでよく行った。
思い出のホテルだからというわけではなく、単にここが一番近いから予約したのだけど、かえっていろいろなことを思い出して、なかなか眠れなかった。
ハワイ旅行用にもらった睡眠剤を飲んでも、全く寝付けなくて、焦っているうちに、2時頃、眠ってしまったようだ。
朝食は、バイキングでしっかりと食べて、出発。
いよいよお別れだなあと思っているのか、夫はほとんどしゃべらない。
私は、義父の魂はもう自由にあちこち飛び回ってるんじゃないかと思って、そんなに寂しくなかった。
今回のことで、私と夫の死生観の違いと、嫌というほど思い知ることになる。
子供の頃から母から聞かされ続けてきた、「亡くなった後も、常に見守ってくれているから…」なんて話は、夫には到底通じそうもなかった。
(最近になって、ようやく理解し始めてくれてるみたいだけど…)
告別式も始まると、滞りなく進んでいき、いよいよ出棺の準備。
ひつぎが開けられると、葬儀屋さんに渡した、新聞の朝夕刊、ワインラベルのコレクション、家族写真と、義父+友人の写真が入っていて、この日初めて泣いた。
子供の頃、参列したお葬式での記憶か、ドラマで見たのかわからないけど、棺は、遺族が釘を打って閉めるのかと思っていた。
が、ふたを上からちょっと押さえると、それできちんと閉まる仕組みになっているらしい。
よかった。
出棺し、火葬場に向かう。
夫にこそっと「バスには乗りたくない~」とわがままを言って、Nさんにタクシーを手配してもらっていた。
火葬場まで、すごく時間がかかると思っていたからだ。
バスに揺られていくのは、何となく嫌だった。
でもさすが都内、民間の火葬場が幾つもあるらしく、20分くらいで到着。
これが、とてもきれいで立派な建物で、デパートのように、エスカレーターが並んでいる。
結婚式場?と思ってしまうくらいだ。
本当に驚いた。
プロフィール
HN:
キサ
性別:
女性
自己紹介:
契約社員(在宅)+主婦少々。現在、本館更新停止中のため、たまーにJ長K長の記事も書きますが、ほとんどがただの日記です。